挙式会場
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由加神社
古式ゆかしい由加神社で永久の誓いを。
日本三大権現の一つ、また厄除けの総本山として知られる由加山の由加神社本宮は二千有余年の歴史を持つ神仏混淆のお山。その昔、磐座信仰(巨岩をご神体)と唱え近郊の人々の守護神として崇められ、その後七三三年(天平五年)に行基菩薩が十一面観音を祀り、併せて神仏混淆の霊山として崇拝されてきました。江戸時代中期には備前藩主池田候の祈願所として当権現・由加大神様への信仰は篤く、正月・五月・九月には藩主自らご参拝になられておりました。(その時ご参拝になられた建物が由加神社本宮ご本殿です)過去の歴史などから見ても由加の権現様・大神様は『有求必應』"求めが有れば必ず應じて下さる神様"として、参拝者祈願者が後を絶たないのが現状です。
※列席人数30名様まで
玉比咩神社
国道430号線、玉野市民会館前に玉比咩(たまひめ)神社があり、境内大きな霊岩が特徴となっております。ご祭神は豊玉姫命こと竜宮城伝説(うらしまたろうが出てくる昔話)の乙姫様です。昔、玉比咩神社のあたりは入江となっており、その境内にある「立石」と言われる巨岩は珍しく、人々は舟をとめ、しばしばここへ訪れていました。
この立石から、ある夜、火の玉が三つ飛び出し、一つは臥龍山中腹の臥龍稲荷神社奥宮に、一つは西大寺の観音様に、そして残る一つは牛窓に向かったといわれています。その火の玉の出た所は、今も丸く日輪の形に残っていると伝えられており、昔からこの岩は「高さ35尺、幅97尺。玉村の磯辺にあり、巨厳工(きょがんこう)しごとく、重(じゅう)なり、とても人力の業(わざ)にあらず自然のものなり。すべて、このあたり絶景なり」と記されています。
西大寺(観音院)
吉井川畔に堂塔伽藍が鎮まる西大寺は、今から約1200年昔、天平勝宝3年(751)周防の国(山口県)玖珂庄に住む藤原皆足(ふじわらのみなたる)姫が観音菩薩の妙縁を感じて金岡の郷に草案を開基し、千手観音を安置したのが始まりでした。
中四国地方最大級の規模で、総ケヤキ造り前半が板張りで、これを大床と云い、会陽(毎年2月第3土曜日)には大床だけで5千人の裸群が上り詰め、さらに梁や長押にも群がり万余人の「ワッショイワッショイ」のかけ声は海を渡って香川県の志度まで聞こえたと伝えられています。
天井画は全部薬草で市川東堅、会陽の絵馬と内陣の花鳥は狩野永朝の画。
現在、天下の奇祭とたたえられる会陽(裸祭り)の斎事は、宏くこの寺の交流を育んでいます。
※列席人数40~50名様まで
阿智神社
日本の神話の中で、いざなぎのみことと、いざなみのみことが結ばれ、日本に多くの神々をお生みになり、日本の国が始まりました。この二柱の神様のように、深く結ばれ、また新たな命を生み育み、次世代へと受け継いでいかれますように、結婚式にはそんな願いが籠められています。 結婚式は数多い人生儀礼の中でも、特に重要な慶事であり、新たに家庭を築くという意義の深い儀礼です。 神前結婚式はたくさんの出会いの中で、一生を共にする人とめぐり会った"縁(えにし)"に喜びと感謝の祈りを神前に捧げ、誠心こめて力を合せていくことをお誓いする日本の麗しい伝統です。 創始1700年を迎えました倉敷総鎮守、阿智神社の大神様の御前で厳かに清々しく、お二人の祝いの門出をお迎えください。
足高神社
鎮座現存する神社記録の最古の書は平安時代醍醐天皇九二七年(延長五年)に編さんされた延喜式神名帳です。式内社とは延喜式内社の略称です。延喜式 は国家行政の基本的施工細則でありその第九・第十巻が神名帳でこれには当時の代表的な神社二千八百余を全国にわたって例載しています。これらはいわゆる官社でいづれも国家の宗祀とあがめられ神社信仰の中心で この書の中に足高神社は記載されており備中十八社の一なる最古社であります。
ご鎮座の年代は人皇第十代崇神天皇の御代に勧請され今から約二千年前です。 ご社号 天保年間迄は葦がおい茂った中に奉斎していた意もあり葦高神社と書いておりましたが延喜式神社名帳には足高神社とありますので以後書き改めております。 又、一時期葦高八幡大菩薩として奉斎されその姿は"酒津八幡宮""老松八幡宮"にご分霊となって現今継承されております。
※列席人数20名様まで
御食事会場
吉井旅館
身近で大切な人だからこそ最高のお料理で喜んでいただきたい、そんな気持ちに応えます。
旅館くらしき
料理長が厳選した海の幸、山の幸でお客様をおもてなします。
倉敷国際ホテル
歴史の長い倉敷の伝統と真心でお客様をおもてなしします。
倉敷由加温泉ホテル山桃花
旬の素材で演出する創作料理をご堪能いただけます。